徒然なるままに、思いつくままに、読ませられないママに……
目的を達成するために、ある特定の手段を用いることがあります。そしていつの間にかその手段自体が目的になってしまっている。目的達成のためだったはずの手段、その手段を達成すること自体に力が注がれて、本来の目的は忘れられ、結局目的達成が難しくなってしまう。このような経験をしたことはありますか?もしくは、身近にそのような例を目にしたことはありませんか?
今回はいくつかの例から自己目的化がどのようなものか、なぜ自己目的化がいけないのかをまとめて述べてみたいと思います。
ガリレオは、ピサの斜塔で重いものほど早く落下するわけではないことを示した。ニュートンはリンゴが木から落ちるのはなぜかを説明した。(もっとも、2つの逸話の実在は不明だが。)アインシュタインは「ニュートン力学」の限界を乗り越えてみせた。ピケティは経済的格差が拡がり続けていることを数値を用いて明確に示してみせた。そして今、「送りバントは敗退行為である」ことが示されている。頼むからバントをやめてほしい。